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シドニアの騎士のアニメの2期が始まりました。壮大な世界観、奥深いテーマ、人類存亡の旅は一体どこへ向かうのか。『シドニアの騎士』が私たちにつきつけた問題とはいったい何のでしょうか。


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シドニアは太陽系が滅び住む場所を奪われた人類が新たな故郷を探すため播種船に乗り新たな開拓地を探すというストーリーです。興味深いのはこの播種船という存在です。播種船は地球の中でしか生きていけない人類が宇宙空間でも活動できるために作られたいわば箱舟です。空気があり重力が作られ水と食糧が生産&再生産されます。そのひとつであるシドニアは他の播種船と同様に宇宙で人間が住むことが出来る居住空間を作ります。そして、そこからさらに飛躍し、宇宙空間で何百年も生活していくうちにシドニアの人々は人体の構造をいじって播種船の生活に最適な体を手に入れます。


卵が先かにわとりが先か、地球を飛び出した人類は新たな土地を探すのと同時にその過程である旅路での生活に適応するため、肉体を不死にしたり、光合成をおこなえるようになったりと、自らを変化させていくのでした。そうすると、当然のようにこの問いが立ちあがります。それは、人類存続のための旅路でその根本である人体をいじってしまっていいのか。いじっていいのだとすれば遺伝子操作しても変わらない人間らしさとは、もしくはそもそも人間とは何なのか、というものです。そして、これは『シドニアの騎士』の大きなテーマになっています。ガウナのエナが人間の誰かを真似たとすると、そのエナはオリジナルである人物と同じ自我を持つというもの。または、人とガウナとの合いの子である融合個体という存在。そして、落合の言う人間は「不滅の肉体を持った完全な生命が一つあればいい」ということの意味。白羽衣つむぎは形は人間のものとはかけ離れていますがまるで人間と同じように考え人間と同じように振る舞おうとします。やがて登場するだろう市ヶ谷テルルなどは外見、立ち居振る舞いは人そのものですが体は機械です。

こういう風に作品の登場人物たちを見ていくと人間のように考え振る舞うことは人間以外にも出来ることが分かります。じゃあ、人間と人間でないものとの線引きはどこにあるのか。すでに人間の体の構造をいじっているシドニアの人たちはすでにオリジナルの人間ではありません。でもそう考えると人間はいつから人間になっていつ人間からでなくなるのかということにもなります。


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この問いの答えを教えてくれるのは物語の主人公である谷風長道です。彼は遺伝子操作を受け不死の体(老いないという意味)と高い再生能力を持っていますが、そのことを本人は知らないため普通の人として暮らしています。エースパイロットのクローンである長道はある種の人間を超えた超人のようなものなのですが、本人がそれを知らないため、普通の人間として振る舞っています。彼は人々の中に溶け込み、周囲と同じような人間として暮らしています。ここで見えるのは人間というものは人間たちの中で暮らす者のことを言うのではないかということです。後につむぎが人間と共に暮らし受け入れられていくのは彼女が人の文化の中で生きているからでしょう。


おそらく、人間性というものは人間の中で暮らすものの中にある。ならば、落合の言う「不滅の肉体を持った完全な生命が一つあればいい」ということは間違いで、不死の船員会がいて彼らがいれば死なないと言う意味で人類の滅亡が回避できたとしても、シドニアは人を生み育て世代を塗り替えていく必要がある訳です。きっと大きな問題はこの先にあるのでしょう。それは住むべき土地が見つかった場合、そこに合わせて人体を変化させたとき、人は今までと同じ生き物でいられるのかという問いです。これは作品の結末がそれを教えてくれるかもしれません。その時を待ちたいと思います。

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